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今はレベル2の練習期間の最中です。
色々発見があってとても面白いです。
今日は久しぶりの生理中の練習でもうヘロヘロでした。おなかも全然使えないし。笑えました。(笑えません!)
生理中の練習については別途記書きます。
(あと仲間の先生に伺った、閉経間近のことについても少しだけ)

 

さて、最近クラスの冒頭でお話ししている話です。

以前からお話ししていますが、私は武道(武術)の先生方の御本を読むのが好きでして。
経験がたくさんある方々の生きた言葉が伺えるので面白いのです。

今回は抜粋はほとんどしていないので、鍵なしで書きます。

 

先日生徒さんが、
正座がふくらはぎのポンプを刺激するのにいい、と本で読みました、
と伝えてくださいました。

それで、今は正座する機会もないですもんねーと話していました。

体、身体観というものは、
時代によって結構変わるものだと思います。
文化や、生活様式でまったく変わっていきます。

 

あ、話が逸れてしまいますけれど、
私服飾史すごく好きなんですよ。

お洋服自体も好きですが、それは、現代的なファッションが好き、というより、
なんだろな、衣装としてお洋服をみている、そして好きなんですね。

なので自分も服を着るときは衣装を着る感覚なんです。これわかる方います!?
もちろん普通のお洋服なのですが、キャラ設定できるコスプレみたいなものなんです。
見た目じゃなくて、いや見た目は見た目なんだけど、
どう見られたいかより、自分のキャラ設定(気分)のため
の方が強い感じがします。
ほら、漫画とかであるじゃないですか、
4人くらい女の子が出てくると、性格を表現するためにお洋服を変えてるでしょ?あれと同じです。(ほんと?)

なのでマナーとしてのTPOもあるけれど、
それより誰と会うか、どこに行くかでお洋服ががらっと変わるのが特徴です。(衣装だから 笑)

だからね、これは私の中では矛盾がなくて、
ヨガのクラスはいかに動きやすいか着替えやすいかが最優先になってるんですよ…

 

それに加えて、自分が好きな絵や、あとオペラとかでも
お洋服は切っても切り離せないのでそれもあって興味があるんだと思います。

それで、話がもっと逸れちゃった。
お洋服の歴史もね、またこの身体観につながるんですけど、
それまで書き出すとまた大変なことになるので、
これまた別で書きます。(興味がある方がいるかはわかりませんけれど)

 

それでそれで、
話しは戻って、
時代で変わると思うんですよね。

昔がよかった、という話ではないのですが、
でも消えてしまった身体観や、使わなくなった機能もある気がしますね。

 

その本で、面白かったのが
にわとりを追うのも、ぶたさんを追うのも、ヤギを追うのも、
身体の使い方が全然違う、っておっしゃるんです。
お話しされていたお二方はどちらもそれがわかるけれど、
私たちはなかなかわからない方が多いのではないかなと思います。

なるほどなーと思って。
言われると、きっとそうなんだろうな、と思いますけれど、
言われなくては経験がないので、考えもしなかった、という感じです。

 

現代って、とても「頭」の時代ですよね。

私はね、ずーーーっと悩んでいて、今も悩んでいます。そして答えは出てない。笑
こんな悩んでいて、ほんと暇なんだと思いますよ。苦笑

脳と身体。私はハートとマインド、と言ったりしますけれど、
そのバランスというか、それぞれの立ち位置について本当に悩んでいます。
(思えばこの悩みは大学生のときからですよ。忘れもしない課題図書のパイドロス。人生暇なんだ私…)

もうこんなスピードと頭の世界で、
体もそうやって進化していくべきなんだろうか。
私たちは体が退化しても脳だけでやっていけるんだろうか。
そもそも私の考えこそ本当に時代遅れなのかも。

と思ったりもしますけれど、
やっぱり私は体験はなによりも生きていることのプレゼントだと思っていますし
身体観は体を持って生まれてきた以上、絶対に必要だ!という思いがどうしたって捨てきれない。

そんなわけで陰ヨガをやっているわけですけれど。

 

今って、科学的にとか、理論的にとか、数値化することやエビデンスとか、
要は証明できることがとても大切にされていますよね。

それでね、これも本の中で、石垣の話が出てきます。
真偽はわかりません、本の受け売りですが。

地震があっても崩れなかった石垣ってありますよね。
でも、それを数値化する、要はなぜ崩れないかを説明するのってとても難しいそうなんです。
だから、今石垣を復元するときは、石をコンクリートでかためないといけないんだそうです。
崩れないという証明ができないからだそうです。

説明できないことをさせてもらえない、というのはなんだかとても不思議なことですよね。

 

少なくても私たちがこうして体を使っていて、
説明できないことってたくさんありますよね。

ヨガのような体を使うことをしていなくても、本当は日常の中にもたくさんあるはずなんです。

でも私たちはそれを見逃してしまう。
そして、きちんと説明されたり、数値化されたり、データがあったり、誰かが証明してくれることが真実だと思ってしまう。
というか、それでないと信じられなくなってくる。

体のことを一番に信じたいです。感触とか、感覚とか、
「なんとなく、、説明できないけれど、、」
そういうこと、結構あると思うんです。
それを頭で潰してしまいたくないなーと常々思っています。

 

陰ヨガの練習も、ポーズがシンプルなので簡単そうに思われていますが、
やっているみなさんは十分感じていらっしゃるように、
どんどん深く深く探究し観ていく、細かくて繊細で微細な練習になっていきます。
これが陰ヨガの練習のテクニックなんですよね。

これはもう体感が本当に大切になっていきます。

 

自分だけの感覚、大事に育てていきたいですよね。

きっとそれは、助けになると、信じています。

 

:参考図書:
「身体を通して時代を読む 武術的立場」
甲野善紀 内田樹
文春文庫

 
 

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