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前回のブログで書いたvedaリトリートでの出来事。
とっても素敵な時間を過ごせました。
好きなものが色々ありますけれど、全部、「人間」を見ているんだって思います。
陰ヨガに興味のある部分も同じです。
だからもしかしたら「ヨガの先生」としてはちょっと違う。のかなぁ。。。
ヨガに興味があるというより、人間に興味があります。
そのリトリートで、ワークをしているみなさんを見ていました。
私は絵は好きですが描くのは苦手です。
苦手だし、描けるのいいな、描けたらいいなとは思いますが、描きたいとは思っていないのです。
(そういう欲求は私の中にはないみたいです。私は人の作品を見るのが好きなんですよー。)
だから苦手な人の気持ちもわかるし、抵抗感があるのもすごくよくわかる。
苦手なこと、
得意なこと、
苦手だけど気分がいい時、
得意だけど気分が悪い時、
色々な環境状況の中で、その物事にどう向き合うかというのは、ヨガでも共通していると思うのです。
それってひとつの思考のクセみたいなものだから、普段はこうだけど、ヨガでは全然違う対応するなんてことはないかな、と。
どんな自分でもいいんだと思うんです。
苦手なことには消極的になったり、
切り替えて楽しめたり、
最初から抵抗なく楽しめたり
いろいろな人がいると思います。
かくいう私も苦手なことには消極的になってしまう、エネルギーをひいてしまうタイプ。
だった。
し、今も頑固に残っています。
変わるか変わらないかはどっちだっていいと思う。自由だし。
その人が変えると思うか、変えないと思うかだから。
ただ、変わりたいけど変わらない、というのはしんどいなぁと思う。
そういう時って、行動パターンが同じとき。心の奥で変わらない道を選んでいる。
ヨガでいえば、練習のときに自分のクセで同じパターンで練習しているからなのだと思うのです。
同じ道を毎回通って、「今日も東京タワーが見えない」と嘆いているのと同じなのかなって自分をみていて思うのです。
東京タワーを見たいなら、東京タワーが見える道を通らないといけないのに、自分の行動パターンを変えないから同じ道をまた通って「今日も見えなかった」と言っているのかなって。
そういうとき練習方法を変えます。
私は幸いにも、生徒でもあるし、講師もやっています。
それらは全然見えている景色が違うので、講師をやることが自分の練習に非常に非常に活きているのです。
(みなさんありがとうございます)
そうやって視点を変えるのがひとつ。
よく旅行に行くとか引っ越しするとかで見ている景色を変えること、なんて言われるけれど、
そんな大きなことしなくても(いや旅はいいよね)日々の中でも十分できることがありそうです。
立ち位置を変えてしまうこと。
違う場所で、違う人と練習するだけでも違うし、
いつも後ろにマットを敷いているなら前にいってみるとか、
いつもやらないことをやってみる。
(クラスで時々生徒さんにモデルになっていただくのは、そうやって人を見ることをしてもらいたいからです。)
これ私大きかったなぁ。大したことじゃないのに、その大したことをやらないように決めているのは自分なんですよね。
自分の都合なんです。
それがコンフォートゾーンなんだって思って、そう決めてしまっているのは自分なんです。
全然関係ないようで行動を変えること自体が、ヨガの練習でのいつものパターンも変わるのだと思います。
あとは、自分のクセを全て捨ててシンプルに練習すること。
あれやこれやと考えない、いや模索は必要なのだけど、
とにかく先生のインストラクション通りに、まっすぐ素直に、まっさらな気持ちでやる。
余計なこと考えない。とにかくそのままやる。それで続けていくと、道が開ける。
これのために研修に行っていると言っても過言ではありません。
クセのあるまま教えていると、どんどん私のクセに曲がっていってしまうのが個人的にとても避けたいところ。
頭で考えすぎずに、今目の前にあることをシンプルに、まっすぐな気持ちで、取り組む。
いつもそうでありたいなぁ。
私は美術史が好きなんです。
宗教裁判で殺されてしまうような時代、
注文者が絶対の権力を持っていた時代、
政治や画壇に抑え付けられてしまう時代、
自由なんてなかった時代。
そういう中でも各時代の画家たちは、時代に翻弄されながらも周りに影響を受けたり与えたりしながら、筆ひとつで、もがき、苦しみ、喜びを見出して作品を世に送っていったのです。
芸術は、音楽も、舞台も、好きです。
芸術は、はっきりいって、生きるために必要なものではありません。
芸術は人の営みです。
心だと思います。心がないと継承されない。
この物質世界において、人間の営みとして守られてきたものです。
もちろん時に政治に利用され、時に戦争の餌食になりました。
それでも常に人と共に、人そのものを表現してきたものだと思うのです。
きっとヨガも同じ。
というか同じものをヨガにもみています。
健康になるとか、体にいいとか、私にとってはそういうことは二次的に付随していることなんです。
人間そのものが神秘的だなと思っていて、とても興味があります。
私たちは全員とってもポジティブな存在であると信じています。