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以前会社員していた頃
満員電車に充満するイライラの空気が嫌で仕方なかった。
この満員電車だけでもかなりのストレスだとは思うけど
でも少し肩が触れるだけで一触即発
辟易していた。
(いやいや、でもそれは私の中にも同じ渦巻くものがあるからだと今はわかるけれど)
そんな満員電車のことをふと思い出していて、
そのイライラってどういうところからきているのだろうかと考えた。
肩がぶつかり怒るのは、私に俺に何するんだよという感情か。
何するんだよということは、敬えよというか、大事に扱えってことかしら。
そんな風に辿っていくと、そうかなるほど。
自分で自分をないがしろにしているんだろうなぁと。
日々色々あって、感情は絶え間なく動くけれど、忙しない毎日で、
ふと一息つける環境にはいればスマホを見て、溢れ流れる情報に頭をつけて、
家に帰ればテレビをつけて。
スマホもテレビも否定しているわけではなくて、
(スマホもテレビもそのものが悪いわけではない)
自分がどれだけ、その絶え間なく動く感情を含めた自分のことを世話してあげられているかってことかなーと思った。
世話をするというのは、理解者であるということで、
傲慢とかわがままとかとは全く異質なものだと。
(ちょうど大好きなくるり岸田繁さんが、CHARAさんのNEWアルバムに参加した時のことを書いたブログを読んでたので、そこから繋がって思い出していました。
すごく良いブログだったのでー!読んでみてー!
リンク貼ってよいかわからないので、私のtwitterを辿ってもらえたら…m(__)m)
自分で世話をきちんとできていれば、
周りに、ましてや赤の他人にひどいことされたわけでもないのに(肩がぶつかっただけ)「もっと大切に扱えよ!」とは思わないのではないかと。
年上の姉さんたちが、
時たま「あの人は可哀想な人なんだよ」と言うことが、
意味はわかるけど実感としてはよくわからなかった。
そうかなぁ?可哀想なのかなぁ?
でもようやく、そうか、自分が自分の一番の理解者になってあげれていないのが、可哀想なんだなとわかった。
自分を愛していない自分。
自分が自分自身を応援してあげなくて、
一体誰がそれをやってくれるだろうか。
自分ができないのに他人に求めるのは、きっとお門違いだね。
自分で自分の世話をしよう。