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わたしの先生でもあり良き友人の一人でもある、
ロシア人の友達が、先日こんな話をしてくれた。
彼女の友達が、
毎日毎日家で瞑想のプラクティスをしているそうだ。
心を静寂に、一定にするために、プラクティスをしているそう。
だから彼女は、
外に出て、人と対面し、社会の中で心のバランスをとることこそが難しいのではないか。
家で1人でプラクティスするだけでなくて、人と関係してこそ、そのプラクティスの意味があるのでないか、それこそがプラクティスなのではないか、と言ったそう。
実践してこそ、プラクティスの意味がある、ということ。
そして、日常にこそ、たくさんのプラクティスがある、ということ。
わたしは、哲学がやっぱり好きだけれど、
頭で納得して満足するところがあり、
実践が足りない、という話をしている時に話してくれた。
本当にそうだ。
ヨガの練習も同じ。
日常のすべては、ヨガの練習だから。