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*挿話:感覚的なものを言葉を使って表現しているので共通言語を増やし伝達の差異を埋めるため、ベースや背景にあるものをエピソードとして紹介するもの

 

挿話というより、私の個人的な考えのバックグラウンドです。
ちょっと長くなります。

 
陰ヨガで興味があるところと、芸術とかそのほかもろもろ私が好きなものとかと、ずっと共通点があると思っていました。
同じ興味の方向性なんだろうなと。

ただ、それがなんなのかはよくわかっていなかったのです。

 

ある時、そういえば大学の授業で「芸術は人の営み」というのがあったなぁと思い出したときに、そうか「人の営み」に興味があるんだなと思いました。

 

人の営み、それは身体感覚ともいえると思っています。
なんていうか、、、生きることは経験、体を使っていますから、その体の感覚って営みを作るもののひとつというかそのものとも思っています。
身体感覚って、器としての体のことだけじゃない、と思います。

 

私の興味のある身体感覚は、解剖学的なこととかとはまったく違っていて、、、、
ヨガ講師あるまじきかもしれないけれど。。。
講師であるので知識としては持っていよう、持つべきだとは思うけど、興味という点では正直ありません。

それより、文化による身体感覚というものにおそらく興味があるのだと思います。

根底に、体はその人のすべてを表すと思っています。体というか、その人自身がその人自身を丸ごと表していると思っています。その人自身がその人のすべてなのです。
体といっても形というより、所作とか(学んだものだとしても)、行動とかも含んでいます。

個人レベルというより、人間としての身体感覚があって、そして個人の身体感覚があると思うので、
やっぱり生きている時代や文化などがかなり影響していると思います。

国、言語、歴史的背景、社会的時代背景、服飾、所作、階級、ジェンダー、そういったものすべてをひっくるめた文化が私たちと切っても切り離せないのではと。

なので、宗教も学問として興味がありますし、古武術も興味があるし、言語とか、服飾史とか、そういうものも興味があります。

 

美術が好きな理由もおそらく同じようなところにあって、表現や作品って、その人が出るじゃないですか、いくら様式があったとしても。
(もちろん当時の時代感がわかるのも、好きなことのひとつです!!それも、その時代の身体感覚。)
だからあれも身体感覚なんです。私的には。
表現というのは、自分の中のものだと思います。たとえそれが役者さんが経験したことないことを演じるとしても。(だから舞台も好き 生の舞台 ライブも含めて、好きです。すっごいエネルギー!)
人が、どのように物事を捉えて、何を見て、何を感じているのか、どういったことに心が動くのか、そういうことに興味があります。
だから、絵からエネルギーを感じるんです。あ、いや私はそういう能力はありませんけど、でも違いますよ、ひとつひとつ。

同じ景色を描いても、同じ絵にはならない。それって当たり前だけど、すごいことです。

そうやって個人が見えたとき、その人自身の奥にあるものに触れたとき、感動しちゃいます。

 

ヨガのクラスでも、同じポーズをとっていながら、個性が出ますよね、当然違うのですから。
それは単純に骨格が違うとかそういうことではなくて。
ヨガでやっていきたいことはもちろんいつもお話していることではあるし、それはわかって指導しているつもりですけれど、そうではなくて、その個がみえるということ自体は好きだし、ぐっとくる瞬間でもあります。

ポーズへの取り組み方とか、そういったものも千差万別です。
たとえばマイクロムーブメントのときに、石橋を100回くらい叩きそうな方もいれば、すごくドラマティックな方もいるし、とにかくやってみるというスタンスの方もいれば、熟考する方もいて。いろいろです。

たとえば石橋をそれだけ叩こうとするには、きっとそういう歴史があるんだと思うのです。それってどこからきたんだろう。

 

もちろんシンプルにしていくのは練習の中でやっていきたいです。
画家の絵を年代順にみていくとわかったりすることがありますが、個を出そうとするあまり、個が出ないということがあります。がちゃがちゃしてしまって、何がしたいのかよくわからないという。
でもシンプルに、そして研ぎ澄ましていくと、オリジナルがみえてくる。一種、壁を突破した瞬間です。昇華した瞬間。やっぱりそういう絵はすごい。(でも、その人の歴史だからがちゃがちゃしたのも好きですよ)

だからシンプルにしていく、リセットするってとても大切だし、そうしたい。
ただそれと別に、そういう皆さんのいろいろなシーンを見たときに、なんていうか、ぐっときちゃうんです。皆さんがとっても愛おしくなる瞬間だったりもします(笑)
そしてそこから皆さんがひとつの枠を超えていくとき。それはもう美しいんです。エネルギーが動いて。この瞬間があるからやめられないんです、この仕事。

 

美術の歴史もそうでした。
いろんな制約がある中で、画家たちは時代に翻弄されたり、もうぼっろくそに言われたり、良き友と出会ったり、いろんな影響を受けながら、表現していったのです。
「限界突破」していくその歴史そのものが、私はとっても愛おしいです。

 

この世界に生まれて、人間として生まれて、それ自体が本当に素晴らしいことだと思うのです。
私は、私たちの存在自体が、とてもポジティブなものだと信じています。

善悪は、歴史の中でうまれた一種の概念でしかない。

語弊があるかもしれないけれど、人間の歴史、全部全部ひっくるめて、私は愛おしいと感じています。

 

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