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クラス前に生徒さんと話していて「今日もがんばります」と言われたので「がんばってください」と言ったら、
「も〜また他人事みたいに〜」と言われました 笑

「いやだって、私が代わりにがんばれないから」と言ったら、「そっか、そうだよね、自分のことなんだもんね」と言ってて、皆で笑ったのですが。

以前も、「当然のことだけど、自分で探さないといけないんだって気づいた」って言ってくれた方もいましたね。

ヨガが、先生が、誰かが、答えを与えてくれるわけではないんです。

 

陰ヨガが良いと思ってやっていますから、そりゃあ真剣に取り組んでくれたらそれはとっても嬉しいですよ。正直にね。
もちろん見てればわかりますから。そりゃあ嬉しいです。陰ヨガがつながった!って。
エネルギーの話です。
すごいパワーなんですよ、真剣に取り組むって。それはとても眩しいくらいに。本当です。

以前友季湖先生が、ビクター先生がこのように言っていた、と教えてくれた話があります。
練習は自分だけのものではない、と。真剣にやればそのエネルギーは周りに影響すると。

だから、真剣に取り組む生徒さんとは、私も真剣ですから、真剣な者同士の、壮大なエネルギーのやりとりです。

 

ただ、基本、陰ヨガをするかどうか、練習するかどうか、真剣に取り組むかどうかとか、自由ですよ。みなさんの。

 

ここって当然のことなのだけど、ちょっと危うくなるときありませんか?

長くクラスに行ってなかったから行きづらいなとか、全然練習してないからどうかなとか、
先生のために練習しているわけではないですよね、先生を喜ばすためでもないです。先生に好かれるために練習するわけでもないし、先生の期待にこたえるためにしているわけでもないです。

いつも自分で決めて、自分で選んでいることなんです。

何のためにやっているか、
他の人に理由がうつってしまったとき、ちょっと危うくなりますから。

 

私も同じです。
ただみなさんと違うのは、教えているという立場にあることです。他者に対して責任があるという点が大きく違いますが。

それでも、たとえば私が練習しなくて、(その状態で先生方のことを先生と呼んだとしたらそれについてはがっかりさせるかもしれないけど…失礼ですからね…)、でも基本的には関係ないのです。先生にとっては。世界に大勢いる生徒のうちの1人である私が練習しようとしまいと。だってそれは私自身のことだから。

うーん、文章だと難しいなぁ。
伝わっていますでしょうか。
 

真剣に取り組むエネルギーの話と、するかどうかは自由って、矛盾した話のように感じるでしょうか。

私たちは普段の思考がそのままヨガの練習でもでます。でているはずです。よく観察すれば。

ヨガは循環がより強力になりますから、間違った循環はそれをより強くしてしまうという話も以前先生にされたことがあります。
だから余計なものを取り除いていって、シンプルに、本来の自分に戻っていくのだと、正しい循環を作っていくのだと。

 

私たちは「真ん中」を探すのです。
真ん中はどこでしょう。

自由てなんでしょう。

答えはきっと自分の中にあるのだろうと思います。

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