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陰ヨガとわたし
 

 

陰ヨガとわたし。
ちゃんと書いたことがなかったので、
今感じていることを記しておきたいと思う。

 

陰ヨガに出会ってから何が変わったのだろう。

わたしにとって一番大きかったのは、
自分の可能性を知ることができたこと。

そして、無限に広がる内側を知ることができたこと。

 

「自分はこういうもの」で作り上げてきた枠組みから、
自分の知らない可能性を知ることができたこと。

「可能性」というととても壮大な感じがするけれど、
わたしにとっての可能性は、陰ヨガで得る「スペース」がそれそのもの。

それはたとえば、ツイストルーツで広がる体側のことだし、
バタフライで座れた座骨や成長する背骨。
そして、安定した土台のこと。

でももちろんフィジカルな面ではなくて、
それはこころのこと。

 

からだの範囲が広がると、こころの範囲も広がる。
それは伸ばしたり引っ張ったりすることではない。
それは、広がり。
スペースであり、可能性。

 

そして、静止の時間は「旅の途中」。
目的地にいくことに意識がとらわれがちだけど、
その旅の途中を楽しまないなんて、本当に本当にもったいない!

 

その目的地に着くためには、絶対に「途中」が必要で、
それを経ないと、行きたい場所には絶対に行くことができない。

プロセスを楽しむことができるようになったら、もっと楽しみが広がっていった。
途中途中を楽しんでいたら、気付いたら結構素敵なところまできていた!
というのが理想だなぁーと思う。

 

少しずつ変わっていく、からだの感覚、
こころの景色、呼吸、丹田と仙骨の意識、
今自分が必要としていること、本当は嫌だと思っていること、
とっても楽しみにしていること、など色々。

最初はただ柔軟性を高めたくて始めた陰ヨガなのに、
少しずつ自分枠のその奥にあるものが見えてきた。

それはわたしにとっては本当に大きな出来事だったし、
感動的なことだった。

でもある日突然やってきたのではなくて、
プラクティスをずっと積んできて、
少しずつ、つながってきた。

それも、まさにプロセス。
「旅の途中」。

 

そういえば、最近クラスでも、先日のクリスタルボウルでも、
この話していたなぁ。

 

またアシュタンガヨガの練習が、わたしの陰ヨガに深みを与えてくれた。
自分の「こうあるべき」を[ぶっ壊す]きっかけになった。
そうしたら自分の中に勇気を発見できて感激した。

そこから陰ヨガがとても深まった。

そしてゆるめることは勇気がいることだと知った。
ゆるめることは、受け入れること。

しあわせでも嬉しくてもこころが痛くてもつらくても
しっかり自分の内側を、「曇りなきまなこで」見ることをやりきること。
継続も「陰」。

 

ありのままでいることは、とても覚悟のいること。
そして、受け入れるということは愛することなのだと思った。
そしてそれはとても「陰」なのだと思った。

今までわたしが相手にしてきたことは、
ただ自分を押し付けていることだったのだと思った。
弱さに憧れていた自分はいなくなり、
力強く立とうと思った。
そこから清い自信がついてきたと思う。

とても覚悟のいることだったという感覚は残っているけど、
でも、今はとても楽しい。

逃げていたら一生できない。
自己中心になることでも傲慢になることでもない。

しっかり自分をもてたら、ちゃんと楽しめるということも知った。
そうか、楽しむことも、自信があるともっと広がるんだ。
陰ヨガに出会い、
自分がとても好きになったし、
本当の意味で受け入れ愛することを学んだ。

それらは強くしなやかでないと、できないことだとも思った。

 

自己を知ること。

それは、ヨガ、ということ。

 

陰ヨガに感謝しているからこそ、
陰ヨガをちゃんと伝えていきたいと思っているのです。

 

だから、背を向けたり、嘘をついたり、恥ずかしいことは絶対しない。
陰ヨガにも、目の前にいる生徒さんにも。

 

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