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陰ヨガは自分の体を自分で支えるということをまず練習の中で感じるので、自己責任というか、自分の力だけでやるような厳しさを感じるかもしれないけれど、実は一番楽できるところを見つけ、またそのような体を作っていくというプロセスだと感じています。
それはある意味とても自立したことだと思うのです。

関節によりかかることは依存のようなものだし(どっちも弱って共倒れ)
自分のパワーや精神力だけでなんとかやろうとするのもひとりよがりでとても孤独だ。

陰ヨガのポーズをキープしてくれているのは呼吸だし(するのは自分だけどね)、
重力を正しく使うことは
「自分でポーズをとってる!」
というよりも、

まぁ…こんな感じで使うととても軽い言葉になってしまうけど「一体化する」感じ。
自分が自分だけで存在し得るわけない、自分はとても小さい存在だと感じると共に「自分」は宇宙そのものでもある、なんてことも感じるような…そんな感じ。

できる、できない、というようなことではないなーと思います。
できないことにフォーカスするということは、自分に欠陥があると思うのかなと思うのですが、
私たちはすべて持っていて、使っているか使っていないか、その機能が眠っているか起きているか、ということなのだと思います。
私たちの中にすべて答えはあります、光はあります。だから陰ヨガやるのに身ひとつで良いのですよ。

練習の中で課題が見えるということは、見えていなかったことが見えたということですから、すごく嬉しいし楽しいことです。
それが見えたらあとはそこに向かってやるだけだ!

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