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内側を見ることと内にこもることの違い

 

陰ヨガを学び続けて、
一層心と体のつながりに興味が増し、
その神秘的なところに少しでも触れたくて、
行き着いて最近学び始めたことがあります。

新しい視点での体の認識と可能性に感銘を受けています。
本当に面白い!

 

知ったくらいでは体得できないので、
陰ヨガに落とし込んでのつながりがまだまだ全然理解できていないですが、
練習日記的に、最近の気づきを書いておこうと思います。

 

最近の学びの中で
動作を自然に行う、ということをやるのですが、
これが本当に難しいのです。

先生からご指導頂いた際、
私の動作をする状態を見てこうおっしゃいました。

「自分の内側を見すぎるとこもってしまいます。
少し遠くをみるような感じで。」

 

そうかー!!!と思ったのです。
なるほど、内側を見すぎようとすると、内側にこもってしまうのだと。

「集中する」のと、「没頭する」のは違うように。

 

確かに、陰ヨガの練習でとても静かなところまでいったとき
自分の状態を思い出してみると周りを感じていないわけではないです。
むしろすごく感覚は冴えています。
でも、周りに意識が完全に向いてしまっているわけではない。
その空間というか全体の中に自分がいる、
その空間、全体とひとつになっている、という感覚です。

自分の世界に入ってしまったときは、
自分のことしか考えていない状態です。
逆に考えがとまらない感じになるかもしれません。
(眠ってしまうのは、一見自分の世界に入っているようですが
私の今の考えではまたちょっと違うものと捉えています)

 

人は外とつながることをやめてはいけないのかもしれない、
なんてことも思いました。

練習はやはり人生を教えてくれるものですね。
日常でも同じことが言えるなと思います。

 

自分の内側をみるつもりで内にこもってしまうと、
思考が走り回るだけでなく
練習の発展も生みにくい状態になりそうです。

今まで、練習を重ねてきてある一定のところまでくると
体が変化しなくなり、心のことを超えないといけない時がくると
捉えていましたが、
この「心のこと」というのは、違う言い方をすると
「自分のことだけ考えている」ということなのかもしれません。

心のひっかかりは、
自分中心に見ているが故に、
見えなくなっていることなのかもしれません。

 

ただみる、というのがすごく大事な要素かもしれません。
私はそれを内観と感じています。

ただみる、というところには
感情もないし、予想も、理想も、願望もジャッジもないのです。

ある先生は、
「内観とイメージは違う」
と仰っていました。

 

しかしこれを動きの中でやるのは本当に難しい…
先生の仰ったことはすごく響いたけど、
まだ体感したわけでないので。
練習は尽きません。

 

また気づいたことは書いていこうと思います。
「わかった」ことでないので、曖昧な点もありますが、
雑記としてお読みいただけたらと思います。

 
 

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