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人生が変わる、かもしれない。
今まで指導してきて、思うこと。
この仕事、本当に責任がある。
手の位置、足の位置を
「そこに置くことを指導する」
のと、
「そこに無理なく置けるような動き方や体を指導する」
のとではその目的も質も全然違う。
形にとらわれていくと、
体の声を聞けなくなる。
心を縛って嘘をついていると、
自分が何を本当に望んでいるかわからなくなるように。
体は本能があるし、嘘が基本的につけない。
でもそれを思考で封じ込めるようになってしまう。
どこかに違和感が出てきても、
どこかが痛くなっても、
これが正しいと信じ、正しさを求め、
そこから目を背け見ることをしなくなる。
ヨガは本来、体を使って心の練習をするのに
思考で体を癖づけてしまう。
体がかたまると、心も頑になる。
体を思考で不自由にすると、心も不自由になる。
それって人生が変わってしまうかもしれないということ。
体を扱うということは、
心を扱うということ。
心を扱う指導ができるように。
また、もし心を縛った人がいたとしても、
良き師に出会えればそれはとけると思うのです。
その点でも、
自分が人として成長しなくては、
良い指導はできないのだという事実をいつも目の前にしています。