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適当さと考え過ぎの真ん中
自然は絶妙なバランス。

 
最近また生徒さんたちの身体がどんどん変化している!☺︎

 
先日ある方が、ずっと悩んでいたところがスムーズになっていたので
(なっていた、と言っても数日後です。身体って突然変化するから面白いですよね)
声をかけたら、
「だんだんわかってきました。もうなんでもいいや!って思ったらできました」
というので、笑ってしまいました。

いやいや、あんまりそんな投げやりにならないでくださいね、と(笑)

 
まぁ、それは冗談のやり取りですが、
そうなんですよね、その感情面ってとても難しいと思います。

どんなヨガでもそうだと思うけど、
陰ヨガも、変化しないようなやり方もあるのです。

ただやっているだけだと、あんまり変化しないのですよね。
そうすると「ゆるんでリラックスしたー」というところからなかなか離れない。

(だから自主練ってものすごく高度なことです。)

 
「ゆるんでリラックス」
とても大事な点なので、それはそれで十分良いと思いますが、
私はせっかくだから、
「身体の変化」を大事にしたいなと思っています。
前回書いたとおり、
伝統的なヨガの要素を、陰ヨガの中にも見ています。

 
気持ちが落ち着くだけでも十分幸せなことだと思うけど、
やっぱり強くてしなやかな精神と身体を作っていきたいなと思っています。

 
 
話が戻りますが、練習中の感情面について。
難しいですね。

適当にだらだらと手を抜いてやれば変化しないし、
かといって、がつがつ自分の欲求のままやったり頭で考えすぎるとそれはそれで意識が身体を抑圧して変化しない。

 
だらだらやるというのは自分枠を抜けないし、
欲求に任せてやったり頭で考えすぎるのは自分の身体の声を無視していることで、それは自分の可能性を信じていないということ。
そして、どちらもとても表面的なところで行われている練習です。

ちょうどその間のバランスのところが1番変化します。

 
だらだらやる日も、
がつがつやってしまう日も、
頭がぐるぐるフル回転する日もありますし、
それ自体が悪いわけではないと思っています。

ただ、1番いいバランスを理解しているのとしていないのでは
大きな違いがあるとは思います。

 
ポジティブに成長を目標としながら、
自分の身体の状態を客観的にちゃんと観ていく。
そして素直に真っ直ぐな気持ちで取り組む。

 
難しいですねー!
でもそれができたときは
頭はクリアになりながら、とてもとても静かで、
身体も意識の支配から外れたとこで静かになり、
とても素晴らしい調和と深い空間と満ち足りた感覚を感じます。

 
いや、難しいですけどね…
ただただとにかく眠いというときもありますし…^^;

 
ただ、陰ヨガの練習していて、
何事に対しても、向かい方ひとつだなとは思います。
自分次第だな、と。

自分で決めています。向き合い方を。
誰に言われたわけでもなく、自分で決めています。
ポーズはただ道標なだけで、
それに対してどう向き合うかは、他でもなく自分次第です。

 
どんなこともそうだと思います。
相手がどうだからとか、
状況がどうだから、ではなくて、
全部自分で決めているということです。
そこでどういう感情が生まれるかも、全部自分次第で。
良いとか悪いとかではないです。
でもそれでどうするかも、自分次第だと思います。

 
私も今、アシュタンガで頂いたアーサナを恐がりながら練習していますが、
そのアーサナが恐いのではないですよね、
それに対して恐がっているのは、他でもなく私です。
恐いと思っていたら、このアーサナきっと一生できないです。
そういう身体になっているから。

だから練習を重ねて、その恐怖心と向き合うことをしていきます。
身体が変わって自信がついたら(どちらが先ではなく同時に起る事だと思います)できるようになるのかなと思います。
楽しみです!☺︎

 
そんなことを感じながら、ヨガやっています。

 
 

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