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呼吸について言及しておきたいです。

読みたくない方は回れ右ですよ!!

 

さて、
とはいえ、
これもね、悩んだんですよね。
なんていうか。不謹慎なのかな、と。

いやでも、体のことをやっているから言ってもいいかなと思いました。
何を誠実ととるかは人それぞれですけれど。私にとってはこれは臭いものに蓋をする感じで。
お読みくださる場合は単なるシェアとして聞いてくださいね。

 

正直、自分に本当にがっかりしたんですよ。
期待していたわけではないですけれど、ここまで体が悲鳴をあげるまで「まずいな」と思いつつ
マインドが勝って放っておいたなんて。
なんのためにこれまで十数年こうして体を観てきたのでしょう。
少しでも自分の体の感度が上がったなんて思い上がりでしたね。

どうして体の声を聞き逃したのだろう。
周りに理解してもらえないからと楽な道を選んだということでしょう。

当時は誠意を持って対応しているつもりだったのけれど。浅はかでした。
あのとき周りの流れを読まず、通常通りクラスをしておけばよかったとも思いました。
これは体を扱う講師としてのあるまじき行為のように今では思っています。
なぜなら私は自分の責任を放棄したということですよね、リスク回避を優先させたということです。
一般的には普通の対応だったと思いますが、今の自分の呼吸のひどさを考えればあるまじきことを生徒さんに課したなと思っています。

逆にあの対応があったから行けたよ、と言ってくださるお優しい生徒さんもいらっしゃるかもしれませんが、
本当の意味での健康を考えたときに、どちらがよかったのだろう。
今でもそれは私を悩ませます。

呼吸をこれまで長く観てきたのに。
何年もかけてコツコツと小石をとって砂利をとって、少しずつその水の流れを変えてきたのに、
戻ってしまうのはあっという間でした。
決壊すると水の流れは早い。
愕然としました。ここからまた変えていくのに何年かかるのだろうか。

 

今の私の呼吸の状況をシェアしますね。

まず、中心軸の位置がずれてしまいました。簡単にいうと肋骨が若干前に出てしまっています。
ポーズをしていても、そこを客観的に気づくまでにかなり時間がかかってしまいました。

これはうまく説明できませんが、
ポーズをしていて「きつい」時があるんです。きつくて変だな、と。
きつさにも種類があって、おかしいな、と思うきつさです。
でも、もちろんカラーがあるわけでもないので、
瞬時にわかるわけではないのです。

おかしいな、と思って気づいたときに、スキャンするように体を観てみると、
ほんの少し肋骨が出ている。この少しは見た目の少しです。
体の中では大きな変化です。呼吸の軸がずれているのです。

きっとこれまでもそうだったのでしょうが、
気づくには現象として明確になるまでわかりづらい。
そこまで明確になるほど、私は放っておいてしまったということです。

もともと呼吸のしづらさは感じていました。
この環境に適応した進化をすることもないと思っていました。
もし慣れたとしたら、それは体の感度が落ちているか、マインドが抑えたときか、だとも思っていました。
思っていたのになぁ…。

「呼吸する」ということは、地球で生きることを選んだ人間全員にデフォルトで装備されているものだと思っています。
呼吸を始めてここでの生活を始めて、呼吸が終わってここでの経験を終える。
呼吸のパワーははかりしれず、おそらくそれによって私たちが想像もできないことができるのではないかと思うのです。
ヨガでも呼吸を小さくしていくことはできると聞いていますが、
呼吸を小さくするのと、浅いのはまったく別ですね。

 

次に、呼吸のスタート位置が上がってきてしまっています。
通常時であれば気づくと本当に肩甲骨の上の方から。鎖骨で呼吸しています。
ヨガのときには意識をかなりするわけですけれど、それでもかなり上に上がってしまいました。
仙骨から腰回りに呼吸が入りづらくなっているように感じています。

少しずつそこは丁寧にしてみても、
そこから上げていくのがまた難しい。
一瞬背中の真ん中あたりで呼吸が消えてしまいます。

 

また初心にかえって、一から呼吸と体を育てていきたいと思います。

陰ヨガは私にとっていつでも、いつまでも、「どう生きていくのか?」を常に問いかけてくれるツールです。

 

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