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今回書いておきたいのは、先日クラスで話が出た

・陰ヨガの「最小限の筋力」

・陰ヨガのソフトさ
についてです。

 

ソフトではあるけれど、それは脱力しているわけではないのです。

陰ヨガで目指している「リラックス」というのは完全にだらーーーとしていることを指しているのではなく、
自然な状態で余計な力がかからず、エネルギーがナチュラルに循環している状態のことを指しています。

 

実際私も最初そこ、すごい迷いました。
これを維持しようとすると力使っっちゃうんだけどな、、って。

結論を言うと、力は、使います。
背骨を起立させている時点で、ある程度力は使っているのですもんね。

問題なのはその使い方、ですよね!?

私たちって、緊張と弛緩はわかりやすいのではないかと思います。
ぐっと力を入れて、それを抜く、という。
わかりやすい!

でも、本来の体の使い方ってそういう風にはできていません。
人間はムーブメントをとるようにデザインされた、というのは先生のお言葉ですが、
本来ひとつのポーズを維持するようにはできていないんだそうです。(現代のような座りっぱなしとか立ちっぱなしとか)
基本的には持続したムーブメントを行っています。
そうなったときに、ぐっと力が入った状態ではとてもそれを維持できないのですよね。
でも、そもそも脱力していたらそもそもそのムーブメントができない。

持続したムーブメントを無理なく行うためには、、、
ずっと使い続けているとソフトが共存しているんだな、と最初の頃に思いました。
だから「最小限の筋力を使う」と言われるんだな、と!

ここは結構当時目からウロコだったなぁと思います。

目からウロコ、、というか、今までのヨガの仕方を改めなければいけなかったというか、
頭の切り替えをしなければいけなかったというか。

誤解ないよう言えば、これはもちろんどんな流派のヨガでもきっとそうなのだと思います。
ただ私がそれを理解できていなかったのです。

もっとこう、、、筋力的な、、
「鍛える!&柔軟性!」
みたいな頭だったのかなと今となっては思います。

そういうことではないのですよね。

どっちか、ではないし、どっちも、でもないのです。

分けられないというか。まさに陰陽の考え方と一緒なんですよね。

どうしても、パーツで分けがちというか、
2つで1つなんですけど、それがそもそも別のものというか。それを一緒に使っている、という感覚になりがちではないかと思うのですが、

そうではなくて、
たとえば1つのパーツをとっても、使っている&ソフトが共存しているし、
体全体でみても、使っている&ソフトが共存しているというか。
どこをどう切り取っても共存しているのです。
(割合はあると思いますが)

伝わりますか、、、?

これね、私にとっては影響大きかったのです。
考え方というか捉え方を大きく変えないといけなかった。

そうしてみていくと、そのときはじめて「真ん中」が見えてくる感じがしました。
そしてそこは、「とてもクリアで静か」だったのです。

コメント

  • まさしく、ポーズを維持しようとしてました。ムーブメントの中にいる、言われてみればその通り。どちらかだけではない、どちらもでもない。まさにヨガのあり方ですね。

    ぼちぼちノート読ませていただきます、楽しみ。

    初コメでした。

    2021年7月15日 17:16 | 内田一郎

    • コメントありがとうございます!!嬉しいです!
      以前の記事もありますが、どうぞよろしくお願いします!

      2021年7月15日 18:41 | pittoresque_admin

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