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陰ヨガの練習をしていて、「北風と太陽みたいですね」と以前おっしゃった方がいましたが、
また先日も同じ言葉を別の方から伺いました。
ブログのどこかにも書いたような記憶もなくもないのですが、、(忘れちゃった)
北風と太陽、、、
本当にそうだなーと思います。
私の根本的なところに、小さい頃に影響を受けた「童話」や特に「ファンタジー児童文学」の要素があるのですよね。
そんなに色々読んだわけではないのですけれど。
なので、陰ヨガしていても、起きる現象をどうしてもそれになぞらえてしまう。
陰ヨガのプラクティスの中で感じてきたことは、ファンタジー世界にあったことでした 笑
私がときどき言う変なことってここから来てるので、そのときは戯言と思ってくださいね、、、
とはいえ!ですよ!
こういう北風と太陽のように、同じようなことを仰る方もいるのですよ!
不思議ですね。
不思議というか、体験を通して、自分の内側にある感覚が呼び起こされて言葉になったとき、
同じ表現になることが、面白いですね。
北風と太陽、という表現がどういったことで出てくるかというと、
自分の体を変えようと「力づく」でやっていることに気づいたときです。
それだと実は「変わらない」ということに気づいたときです。
たとえば、
おへそを引くときに、多くの方が力んでまで引こうとする。
でも「本当に引く」ためにはソフトさが必要なのです。
私ね、よくお話するのですけれど、
ここ、分岐点なのです。
力んで一生懸命引こうとするのです、でないとほとんど引けてる感じがしないから。
けれど、ここが分岐点で、力んだ先には「おへそを引く」という現実は、絶対にこないのです。
力んででもやっていたらいつか「おへそを引けるようになる」と思いがちなのですが、
どこまでやっていても「おへそを引く」という現実はきません。
じゃあどうするか。
おへそを引くにはソフトさが必要です。
なので練習の方法としては、力んだところで、
・それでも引く
のではなく
・力んだところでやり方を変える必要がある
のです。
力んだら道がずれている証拠です。
力まず引くという方法を探すのです。
力まず引こうとすると、自分が思っているようには引けてる感じがしません。(力んでいるときの方がやってる感じがすると思いますよ)
ほとんど引けていないと感じていたとしても、この道の先には「おへそを引く」という現実が待ってます。
なので、焦らずその道を進めば大丈夫。
あ、これは私がクラスや練習のメモをしているノートの絵…さらします
(本当にさー、絵が描けたらもう少し頭を整理できる気がするのに、、、ううう)
体に鞭打って力任せや力づくで無理矢理やらず(北風)
自分の最大の良き理解者として寄り添って(太陽)
練習してほしいなと思います。
鞭打たれるの嫌じゃないですか? 笑
私は嫌です〜。自分が痛いのも嫌いだし、みるのも嫌です。
だから自分にもやらないことですよね。
ストイック、真面目、真剣、一生懸命、なのと力任せや力づくのは違います。
力づくは、相手(体)の尊厳を無視していることですもんね。
やっぱり寄り添って、大きな愛情で包んでくれたら、誰しも嬉しいと思います。
そういう温かい気持ちで練習するのは、実はすごく大事なんですよ。
体の反応が全然違いますから。
だからね、
ポーズの紹介シリーズをしているのはそういう意味もあるんです。
各ポーズ好きになってほしい、と常々申し上げていますが、
苦手意識があってやると、それだけで体ががちがちになって、全然開く気配が出てこないので、
相手(ポーズ)に興味を持って、できたら好意的にやってもらうと、
体の反応が全然違います。
先日の「すねをおろすのに〜」の話もそうなんですけれど、
これもファンタジーだなーって思います。 笑
なんかお話でよくありません?
なんかさ、お姫様を助けるため、とか、王様の病を治すため、には
どこかの洞窟の水晶が必要、とか、竜の涙が必要、とか、
そういう感じでさ、
で、それをそのままとろうとするととれなくて、
全然違うやり方をすると、取れた!みたいな 笑
大丈夫?私との温度差大丈夫ですか??
まぁなんかそういうことです。
そんなこと考えながら練習しています。(拗らせてる、、、)
やっぱり自分が経験してきたことや、
影響を受けたことって、切っても切り離せないですね。
一応、クラスでみなさんにお伝えするときには、
もう少し身近な共通認識の多そうなものを選んだり探したりしているのですが、
時々こういうことを口にしてみたくなるのです、
自分の内側でフツフツしちゃうので!
その時は、戯言と思って適当に聞き流してください。(2回目)
そんなわけで、今日はこのへんで、、、
ごきげんよう!!