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敬愛する方たちのドキュメンタリーを読んだり観ていて思うこと。
この人たちは本当に、作りたいんだな、と。
映像や、音を。自分の内側にあるものを。
だからそれを形にするにあたり、他人を傷つける瞬間もあるんだろうなぁと思う。妥協という言葉はない。
でも、それを形にするにあたり、のたうち回って1番苦しんでいるのは彼ら自身だとも思う。
彼らがそれほどの熱量を捧げるのは、自分の保身のためではない。
そういうくだらないプライドではなくて
(だから実際自分の慣れたやり方でなくても、面白いと思えば素直に受け入れ取り入れようとする)
とにかく、形にしたいんだなぁと思う。
保身ではなく、世に出すならばちゃんとしたものを出したい、ちゃんと作りたい、そういう想いなのだと思う。
いやいや、くだらないというのは本当にそう思うけど、
そういうくだらないプライドを持たないことの方が現実的には難しい。すごく難しい。
ドラマではそういう主人公はよく出てきて、痛快なふるまいで爽快に人々を元気づけたり問題を解決したりするのだけど。
自分が一体何をしているのか、何を目指しているのかのその根本的な部分を見失わずにいることはとても難しい。
そして、何よりそれを実現させるために、手段を変えても、批判されても、自分の立場が変わっても良いという信念を貫くことが難しい。
その是非はともかく。
周りからやんや言われても、
彼らの生み出すものが純粋で世界に必要なものであるならば、協力者がいなくなることはないのだろうと思う。
それだけ強くいられるほどの、クリエイトすることへの情熱があるんだと思った。
きっと内側に眠っている映像や音が、沸々としていて、外に出ることを待っているんだろうなぁ。
それをどう表現するかで、本当に苦しむんだろうなぁと思う。
それくらい外に出す事は容易なことではないのだろうなぁとも。
(もちろん作業も大変だろうけども)
私は音も絵も、鑑賞者だから…
創造者や表現者には、いつも憧れがある。
内在しているものがあるのならば、それを出してみたいという憧れのようなものはずっと持っている。
夢中になって、苦しんで、でも世の中の美しい一瞬を切り取るようなことができるならば、それはもう言葉にならないくらい最高なことだと思う。