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先日特別講座の第二弾をさせていただいたんです。
前回も書いたのですが、友人の先生が年間サポートされている生徒さんたちに向けての講座です。

前回は中医学基礎をやらせていただいて、今回は経絡でした。

 

私は専門家ではないので、やれることって限られているんですが、
こうしてまとめて、解説して、生徒さんたちから自分たちの感じることや経験に基づいた気づきなどをシェアしてもらって、本当に貴重ですごく良い経験になりました。

 

まとめていて思ったのですが、
自分で、教科書的な内容だけでなくてもう少し、、なんていうんだろうか、
(私にとってにはなるけど)大事なところの理解が案外蓄積されていたかも、と感じられて
これまでやってきたことが少し自信にもなりました。
(初心者向けと言いつつ、かなり大ボリュームだった、大事なところは抑えられたのではと自負しております)

 

で、生徒さんたちとのディスカッションがすごく楽しくて!
コメントだけではなくてもちろん質問もいただくのですが、
それでお答えして、またそこでディスカッションが発生するという。すごく楽しくて面白かったです。
なるほどなと思ったり、そうだよね、とみんなで確認しあったり。視野が広がりました。

ディスカッションってそれぞれが自分の意見をきちんと持っていないと難しいですよね。
それを一方的に押し付けてもダメだし、ただ受け身でもダメだし。
対等にいろいろ話せて、それがすごく喜びだったし楽しかったです。

 

嬉しかったことがあって、
それは私が(友人の先生も)教えるときに絶対的なものと押し付けていない、ということをコメントしてくださったのです。
そうありたいと思っていることだから、すごく嬉しかったですねー。

 

私自身がこういうことを学んでいるときにそういう傾向が嫌だったことでもあったんですよ。
それにのめり込んでしまうというか、それしかない、みたいになっていくことが多かった。
自分を知るための知識が、自分を縛るものになっている。

ここが硬いからここが悪い、とか
こういうことがあるから、この経絡がなんたらかんたら、とか
あと風水で方角に左右されたりなんかも。
最終的にはカルマで前世とかなんとかでてきてしまって、
自分自身の否定みたいになってくる。

 

知ることはなんでも楽しいけれど、縛られるのは嫌なんですよ。
それにみんなが同じ一つのことだけ信じているのが単純にこわい。

 

でいやだったなというのもあありますし、
これが絶対とも思っていないし、これが全てとも思っていないし、
ヨガに関しても言えるけど、
そもそも「気」に対する感覚が昔の人とは全然違うはずだから、
現代の私たちが同じように使えるわけないと思っているところがあるかもしれません。

今ってだいぶ体系的になっているけど、根本はこういうのではなかったと思っているのですよ。
もっと目に見えないことが普通に捉えられてた世界だったと思うから。

だけど、どういうふうに考えて、どういうふうに見ていたのかというのは少し感じられるのではないかと思って、
それが知りたくて学んできたところがあります。
人々はどういうふうに世界を、人をみていたのか、それが知りたいというか。

 

長くなっちゃった。まぁなので、人にお伝えすることに関しては自分が出るのでいまだに自分との対峙に辟易することはありますけれど、そうありたいとは思っていて、なのでこういうコメントいただけて単純にあーー嬉しかったなーーーよかったーーーと思いました。

 

今度ディスカッションだけのオフ会があるんですよ!!
すごい楽しみ!!

 

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