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先日クラスで

自分がしようとしていることが、結果「反対」のことしてる、と思った

というコメントをもらいました。

私もその感覚あったしすーーーごく衝撃的だったので、「わかる〜〜〜!!!」と嬉しくなってきゃっきゃしてました。

 

あ、あと、スクワットの回で、

バタフライがスクワットと繋がるのがわかった

って伝えていただいて、これも「そう〜〜〜〜〜〜〜!」ってなりました。

 

いやーーこういう話をできるのはほんと嬉しいですねぇ。

 

自分が感じてきたことと同じようなことを聞くと単純に嬉しくなります。
正しいと確信しているわけじゃなくて、自分にはその経験しかないから。
だからこそそれを他の人とわかちあえると嬉しいですよ。

 

私が練習続けてこれたことの大きなひとつの要因は
そうやって話せる仲間がいてくれたことですから。
結構ね、違いますよ。感覚って。
同じ話を聞いていても、「聞いている」ところって違ったりするんです。
だからこういう細かい感覚で「そう〜〜〜わかる〜〜〜」ってなるのはほんと奇跡だと思ってる。。ありがたいぜ。。

それがクラスでもきけるなんてさ、そりゃあ嬉しいもんですよ。

 

でそんなこんなで話してたんですけど、
そのね、反対っていう感覚。
これ、衝撃的だったんですよ。

だってさ、反対ですよ?
反対という表現が適切かわからないけど、
とにかく「あ、こっちじゃない!」って感じね。

足を踏むためにやっていた動きが全っ然違った、むしろそれと逆のことするんだ!みたいな。

 

伝えるのってそう考えると難しいです。

ポーズをインストラクションでお伝えすることはできるとは思うけど、
私が最初に感じていた感覚で伝えてたら全然違う方向のことを伝えてしまうことになるわけですよ。
もうそれって、責任重大じゃないですか。

そりゃあ練習しろ、練習が大事、練習していれば教えられると言われ続けたわけですよ。。
そりゃそうだよね。

 

今は、「こうすると違う方向いくよ」とお伝えできるけど、
でもさ、それもほんとにそう??ほんとに絶対そう??
ってなると、もう「うわーーーーーーー」ってなりますねぇ。

だから、今の自分が思っていること感じていること、こうだと思う、ということしか伝えられないですね。。
(ので先生の話と私の感じていることは分けてお伝えしているんです)

 

こういう感覚を育てるために

「すごい時間かかった。。」

とコメントされていました。
同じくです、わかるわかる。

感覚が育つまで続けるにもなんていうか、自分の中の種が必要ですよね。
メソッドを信用できるか、先生を信用できるか。みたいなね。

 

先生も以前

「疑念があると練習は絶対にうまくいかない。盲目的に先生を信じるのではなくて、自分でやって、自分で感じていくこと」

というようなことをおっしゃってました。そうだなと思います。

 

でもそれも自分で「こうだ」と思えるには時間が必要だし。。

疑念を払うためには最初からというわけにもいかないだろうから、
「これは、、、!」ってなるくらいはやらないとですよね。

 

直感的に「これだ!」ってなる場合もあるとは思いますけど、意外と難しいかな?
最初感動するけど、結局さ、やらないといけないから、、、自分が。やり続けないといけないから、、

長く続けている方って、
「なんだかよくわからないけど、なんか面白いような気がする」
みたいな方が多いような気がします 笑
過度に期待もせず、責めもせず。面白いとか楽しいはやっぱり原動力ですよね。

 

それにしても、私たちはよく続けてきましたよね。すごいよね。

私好きなものは小5から変わらないけど、
やることは続かないんですよ、すっごい飽きっぽいんですよ!!!自慢じゃないけどさ!!!

好きでやっていることだし誰かのためにやっているわけではないのだけどさ、でもえらいしすごいと思う。ね。
(自分くらいはそう言ってあげたい)

 

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