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これも何度も書いた気がするけれど、、、
陰ヨガを始めて、
私にとってとても難しかったのが、
「やろうとしたことがかえって逆のことをしている」
ということだった。
たとえば、
足をおろそうとした時の自分の身体の動きが、
かえって足を浮かせることになってしまう。
足をおろす、から離れていってしまう、ということ。
頭で考えた行動が、実は逆のことをしている、という事実。
これに最初本当に混乱した、というかとにかく難しかった。
そこで気づいたことは、
「結構コントロールしようとしている」
ということ。
そして
「自然体ってすごく難しい」
ということを知った。
前述の足をおろすという時に
じゃあ何が必要になってくるか。
リラックスすること。
でも力を抜いて何も行動しないわけではない。
足を使わないとおろせない。
ただそのときにそれこそ「身体の様子を伺う」ということを学んだ。
身体の声を聞く、ともいえると思うけど、
どちらかというと私の感覚は伺うにちかい感じ、、、?
聞くよりももう少し積極的。
なんでもかんでも自分の思った通りに動かそうというのではなくて、
様子をみないといけないんだ、と。
身体の尊厳というものがあるというか。
それで、マインドって結構あてにならないんだなぁ、というのが思ったこと。
社会的にはきっと大事だけど、
なんか無駄な動きに繋がることも多そうだなぁとも思った。
たぶん本当はもっと単純だったりするかと。
日本はもともととても霊的な民族だけど、
(要は身体感覚重視)
ある時期から西洋の知識というか頭重視になって
(本当に別にディスってない、だってそれはそれでとても魅惑的な世界だから)
なかなかその辺が現代人のわたしたちには難しい。どっちつかずというか。
身体にはまだその感覚が残っていながら
頭、マインドを使わないといけない社会でそのギャップがしんどい人も多そう。な気がする。
もうそうでない人もいるとは思う。
武術の身体の使い方の講座に参加したときに衝撃的だったのが、
「当初の目的を見失わないこと」。
この話も何度もしているから申し訳ないのだけど、
あの人強そうとか、勝てないかもとか、余計なことを考えるから
当然身体もそのように動く。
「ただ前に進む」ということさえできれば、
目の前の人が大きくても自分の大元の力を発揮することができて、
小さい人でも大きい相手を突き飛ばすことができる。
陰ヨガの練習でも、そういう余計なことを色々考えがちだなぁと。
もっと単純に、もっと素直に、もっと自然体に、というのは意外ととても難しいなと日々痛感。