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この前逸美先生と話していた時に、
最初にトレーニングを受けたときのノートに書いてあった言葉について話してくれた。
(私たちはトレーニングの時期は異なる。逸美先生の方が2期くらい前に受けられています)
陰ヨガを信じられなければ、陰ヨガを指導することは難しい
というようなことが書いてあったそうです。
本当にノートはスートラのように見返す時期によって、理解力と経験値が異なるから印象に残るものも違うのです。
素晴らしい特別なノート!
そんな事言ってくれてたんだねー、と。
嬉しくなりました。
本当にそうだなぁと。
例えば、先生は細かく
「こんな感じ」とか「こうなる」とか言わないのですよ。
なぜ言わないかというと、「経験」を大事にしているからではないかと思っています。
これは私の勝手な解釈だけれども、やらないのに言葉で説明してもわからないからなのではと。
それに言葉の印象が強すぎてもダメで、結局自分自身が経験しないとどんなに説明してもわからないからではないかと思っています。
練習の中でわからないことってたくさんあって、
「こうだろうか?」とか「大丈夫だろうか」と思うことも出てきます。
でも、先生にすぐに質問はしないのです。
言葉の壁があるというのもあるけれど、
何よりやってもいないのに安易に聞くのは失礼だとも思っているので、
とにかくまずは練習してみる。
そのときに、一番根底にあるのは、
陰ヨガと先生を信じているという気持ち。
妄信しているわけではなくて、
先生は経験から得たことしか伝えないだろう、だから大丈夫。
と信じているのです。
そしてこれまでの自分の経験から陰ヨガというものを信じているのです。
だから信じてとにかく続けてみる。
理解しようと努力をしてみる。
やってみてわからなかったら聞こう、と思って。
でも続けているうちに、結局自分で「わかってくる」
強い確信となって、体が理解する。
だから結局先生に練習内容で聞いたことって…たぶんほとんどないかと。
(座学とかの内容については質問したことあるけれど)
質問が悪いとは思っていないけれど、
聞く側のレベルの問題があるから、
自分の経験なくしてそれだけ説明されてもきっと私は本当の意味では理解できない。
だからまずはやってみる。
でも、やってる内にわかってくる。
それの繰り返しだなぁ。
それを支えてくれているのは、
陰ヨガと先生を信じている、というその気持ち。