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改めてここでまた自分の体験を書き留めておこうかなと思います。参考になれば幸いです。
陰ヨガにおける「静止」は、とても重要な意味があります。
誤解がないようにしたいのは「静止をしないといけない」わけではないのです。
こことても大切なのですが、「しないといけない」のではなく、
自然にしたくなる状態、すなわち静止の状態に「なる」ということが重要なのだと感じています。
体が安定していると「静止」できるのです、自然に。
なので「静止」できない、ということがひとつ、
どこか体に負担がかかっている状態、と考えます。
そのためプラクティスを続けて慣れてくれば
段々自然に「静止」の状態になってきます。
慣れる、というのは、ある程度自分にとって最適なポジションを知る事、
すなわち、自分の体の状態を把握するということです。
それでももちろん日々変わっているのですが、
「静かにそことどまる」ということが、
「耐えてそこにいる」に変わってしまうと、
陰ヨガと異質なものになると感じます。
ここ、とても重要です。
なので、初めての方や慣れていない方に「静止しましょう」とはあまり言いません。
ですが、ある程度プラクティスを積んで、
陰ヨガに慣れてきているけれど静止できない、という場合は、
体の状態や陰ヨガへの慣れ不慣れというより、
心の状態の影響が大きいので、その場合は「静止」の練習に入ります。
その場合、長くやっているけれどあまり体に変化がない、
ということが起きていると思います。
それは「静止」を経ていないからです。
なので慣れたら必ず「静止」の状態を保つことを練習するのが大事だと思います。
「静止」が深まると自分の思考の支配下から体が離れる感覚がします。
そして余計な動きをしなくなります。
したくなくなるからです。頭で動くのではなく体を感じて呼吸で動くからなのです。
ただただシンプルに動くようになります。
それは、「動き」にとらわれず、「呼吸と共に動く」ということになるからです。
また例えば、慣例に惑わされないのも、体の声をしっかり聞いているからだと思います。
例えば、
座るときに必ずおしりをかき出す
とか
仰向けで横向きになるときに必ず反対側に足を一度倒してからその反動で横向きになる
とか
ペンタクル(シャバーサナ)のときに、一通りに決めた動きで肩周りなどをほぐしてから行う
とか
挙げていくとキリがないのですが、覚えのある方もいるのではないでしょうか。
私も座る時必ずやっていました(笑)
(これは陰ヨガではなかったですが、
アシュタンガきちんとやり始めてすぐくらいに先生に指摘して頂きました。
それまでもう癖としてやっていたのでその動きについて考えたことがなかったのです。
私は反り腰だからやるとより反る傾向になってしまいます。その時動きはシンプルにと言われて、すべては同じなのかなと思ったのです。)
これらが「悪い」と言っているわけではありません。
ただ、本当に必要なときにやっているか、ということです。
それが必要なのか体が欲しているから、ではなく
慣例として行っていると、ちょっとしたことですが、深まりを妨げることがあります。
なぜなら頭で動くことをしているからです。
そのため、体が実は不自由な状態になっていることがあります。
もっと自由がいいなと思います。
なるべく動きはシンプルに。
そして体の声をきちんと聞くことを養うことが、
とても大切ではないかと思います。
さて、上記のようなところからもつながりますが、
「静止」の重要性は、陰ヨガの深まりに関係しています。
(ここでは、静止の結合組織に対する影響とかそういうことは述べません)
陰ヨガが、いわゆる「リラックスヨガ」のひとつとしての認識が多いのは、陰が深まる途中で終わってしまうことが多いからではないかと思っています。
もちろんリラックスする要素はとても重要なことで、
以前ここでも述べましたが(「陰ヨガ〜広がる景色〜」)まずそれがないと、次に進めないのも事実です。
ただ陰ヨガの要素はそれだけにとどまらないです。
むしろそれはほんの1つの要素に過ぎないと思います。
入り口、でしょうか。
私の考えとしては、陰が深まって陽が出るところまでいくことが陰ヨガとしての深みがあるように思います。
(ここがいわゆる「瞑想」の状態になる感じがします。)
それは
呼吸を通して陰が深まること…それは丹田による体の安定、呼吸の深さ、そして静止、そこからの体の発展、呼吸や感覚の質の変化、クリアな状態…
様々な変化を受け止めていくプラクティスになります。
受け止めていくためにも、
そしてもちろん「静止」を経験するためにも
丹田は重要です。
思考や意識が強すぎると体は不自然になるし成長の妨げにもなるし、
意志がないとそもそも成長するための土台ができない。
心と体をつなぐ意味でも、
また、陽が生まれる、すなわち体が成長し変化するためにも
丹田は非常に重要ではないかと思っています。
足を地に降ろす役割もして、上昇するエネルギーを安定させる。
そのどちらもなくてはいけないですし、
どちらも重要です。
でも、まずは、地に根を張るところからがスタートです。
私の感じる陰ヨガは
現状プラスアルファーで負荷や力をかけていく、
のではなく、
今の体の奥にある広がりを知り、
そこから得る響きのようなものを受け止めていく、
という感じです。
そしてその時、自分がどういう対応をするのか、
どういう感情がうまれていくるのか、
それがプラクティスです。
プラクティスを通して、自分を知る。
それがプラクティス。
そのためにも、プラクティス。
練習あるのみ。
私の感じているものも、まだまだ先があるんだろうなぁと思うと、
これからどんな感覚に出会えるか、どんな景色が見えるのか楽しみでなりません。
一生練習生です。ずっと。
一緒に陰ヨガしようー!