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陰ヨガのアジャストの仕方について聞かれることがあります。
どうしたらアジャストできますか?
勉強会のスケジュールで、
仮テーマとして「アジャスト」を載せてもいるので
改めて書いておきます。
これは、アジャストをする過程を紐解いていくものです。
マニュアル化したアジャストのやり方をお伝えする講座ではありません。
自分への戒めも込めて、
私がアジャストに必要と思っていることを書いてみます。
①自分の練習
まずは、土台となる練習です。
ひとつめはポーズを理解していないと、適切なアジャストはできません。
何をしたらいいかわからないと思います。
その場合は、まだ自分の練習が足りないと思って頂くと良いと思います。
この時点は、アジャストというより、指導の前段階ですね。
ふたつめは自分の体を自分の練習を通して、どうしたらこのポーズが深まるか、どうしたら楽にできるか、どこでひっかかるのか、などなど
細かく研究するということです。
まず自分の体を1番よく理解すること。自分の体を理解できないのに、人の体を理解することはできません。
②アジャストされる、という経験
自分がアジャストしたい、と考えているなら、
アジャストをしてくださる先生につくことです。
流派が違っても繋がると思います。
(体の使い方、という点で。
その流派独特の決まり事などについてはそれはもちろん同じ流派の先生から学ぶことでしょう)
自分がアジャストされた経験がほとんどないのに、
アジャストできる、ということはあまりないと思います。
その先生がしてくださるアジャストは、どういう意図があるのか、
またそれにより自分の体がどう変わったか、
それをまた自分の体を通して理解することです。
③相手への思いやりと敬意
相手を思いやりよくみることです。
見るときには純粋にしっかりみることです。
敬意を忘れてはいけません。
ここは長くなりますが、重要だと思うので、書いておきます。
これは個人的な考えですが、
アジャストはマニュアル化できない、というのが私の考えです。
今の私の経験の中だけでも、
1人として同じ体の人はいませんでした。
きっとこれからもいないと思います。
なので、全員に同じアジャストをするということは絶対にないわけです。
マニュアル化した時点で、
相手の個性を消して、モノとして扱うような気がしてしまうのです。
それは、相手にとって適切で良いもの、ではなくて、
アジャストする側の「覚えやすさ・やりやすさ」
そのマニュアルを伝える側の「教えやすさ」
を表しているようです。
なぜそのアジャストをするのか
それで何をしようとしているか
その過程は伝えられますが、一律のやり方は伝えられないと思います。
人によって全然違うからです。
そして同じ相手でも、
体も日々変化していますから、
やり方は変わっていきます。
それに、アジャストは「ポーズに入ってから」だけでなくて、
「ポーズに入るところから」アジャストは始まっています。
(私個人的にはポーズに入る瞬間を結構見ていたりします。
そこに1番癖が出るので)
または別のポーズをしていても全て繋がっていますから、
本当に全体を通して相手をよくみることが大切です。
繰り返しですが、敬意を忘れてはいけません。
判断しようとか、ジャッジしようとか、そういうのはだめです。
ただ純粋に見ることです。
もう少し違う言い方をすると、見守る、とも言えると思いますが、
私自身は「純粋に見る」に徹するように努めています。
クラス全体、相手との関係においては「見守る」という気持ちを大事にしてはいますが、
人の体をみるときには、そういう感情すら邪魔をすることがあります。
感情という色がついた時点で私のものだからです。
だから、なるべく純粋に、ただ、みる、ということです。
そうすると、自分の枠を超えて、その人にとって必要だろうということが見えてきます。
加えて、深いアジャストは、
相手との信頼関係もすごく大事になります。
相手の体のことをよく理解していることがもちろん大事です。
それにはクラスを通して時間をかけて信頼関係を作っていくことが必要です。
そしてもうひとつ、相手に自分のことを信頼してもらうこともとても大事です。
なぜなら、心から納得していないと、逆に恐怖心を与えることになったり、体の反発が起きることになります。
相手をモノとして扱った時点で、アジャストは終わります。
アジャストは相手への敬意がベースにあるからです。
とても繊細だし、生きたものです。
変化していくし、完成形はありません。
***
アジャストは一律にまとめて伝えられるものでなく、
個々それぞれに、各々の体での経験を通して、
考える力と共に育まれていくものだと思います。
素晴らしいアジャストをしてくださる先生と出会えると良いですね。
あ、そうそう、
私の心に残るエピソードを。
随分前のことです。
朝の練習中、他の生徒さんが、シャバアーサナでブランケットをかけようとしていた時、足元まで掛けられなかった。
その時、先生が、アシスタントの先生におっしゃいました。
「足元掛けてあげて。こういうのが最初のアジャストだから」
自分ができているから書いたわけではありません。
自分の状態が手を通じて相手に伝わってしまう。
人の体を触る、預かるということは、それくらい大きなことです。
敬意でなく自分のエゴからアジャストしたことも、あります。
その時には気づいていません。後から気づきました。
そういうつもりがなかったけどそうしていた、
ということほど恐いことはありません。
ひとつの後悔となって残りました。
未熟だったなと思いました。
そのとき、相手への敬意が根底にあってこそアジャストは成立するのだと思いました。
コメント
私が眠れないって病んでいたときに、足先を手のひらで包んで温めてくれた、あぁ言うのが最高のアジャストって私は、思います、あんなことできる先生は、他にいません!ありがとう(涙)
glowもASAYAさんもどっちも行きます!
2015年12月1日 21:24 | 飯嶋陽子
陽子さん、コメントありがとうございます。
ようやく公開できた…せっかくコメントくださったのに、遅くなって本当にごめんなさい。
あまりにもったいない言葉で、なんだか公開できずにいました。
本当に言葉にできないくらい嬉しかったです。
私はまだまだ、まだまだだけど、その寄せてくださる信頼を裏切ることがないよう、ちゃんと生きていこうと思います。クラスに来てくださって本当にありがとうございます。
2015年12月17日 15:37 | pittoresque_admin