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先日また歌舞伎観てきました。マハーバーラタ。すごい楽しかったーーー
そういう遊びのことはインスタで。
なんか、最近ですね、
日本の文化や独特の間合いとか、空気を読むとか、雰囲気、空気、
そういうものが少しずつ、ここ最近急速に薄れていく感覚があって、すごくこわいなと感じています。
なんだろうなぁ、何が原因かわからないけど。
昨今グローバル化が叫ばれて、いや、それは悪いことじゃないですよ。
それに私は英語が得意でないので、全然グローバルしていないのでまったく説得力ないですけどね。
スポーツの分野でも世界と戦えるようになって、それはすごいことだと思いますし、いいことだとも思いますけど、
その屈強な身体で飛脚のようなことができるかというと、それは難しくて。
体力的なことではなくて、もっと根本的な身体の使い方ですよね。
ただでさえ現代人の私たちにはすでに難しいのに、もっと難しくなって、
そういう感覚すら身体から消えてなくなっていくような気がして、私は最近ちょっとこわいです。
なんていうか、自分はできなくても、
身体が歴史?を記憶しているというか、
できたんだろうな、という古の感覚がありますよね。
でもそれすらもうなくなって、なかったことになるような気がしてこわいです。
海外がいやなわけでも嫌いなわけでも全然ないですよ!
ただ、それぞれが独自の文化を持っていることはなにも悪いことではないと思うんです。
日本が日本らしくて何がいけないのかなぁと。
どうして西洋と同じようにしないといけないのだろうかとも思います。
いやぁでもきっとこういうのが取り残されていく人間の考え方なんだろうな、、笑
日本人は意見を言わないとか、何考えているかわからない、という声もありますが、
別にそれはそれでいいのでは、、、
海外で私たちも自分たちと同じようなことを望まないのと同じで。
独特の空気を読む(忖度するという意味ではなくて)とか、間合いとか、空気感とか、察知するとか、
そういうのは別に文化としてあってもいいのではないかなぁと思ったりします。
前もブログに書きましたが、
どんどん古い言葉がわからなくなっているそうです。
今の若い方は時代劇で何を話しているかわからないとか。
歌舞伎も古語だともう私とかだと難しいですけれど、
わかるようになりたいし、これはこれで残してほしいなと思います。
映画でもはっきりいわないとわからないということが増えているようで。
直接描写しないとわからない。
行間を読む、想像する、汲み取るというセンスも能力も私たちは少しずつ失っているのかもしれません。
文化は変化していくものですけれど、
残しながら変化することはできると思うのですよね。
私は日本という国家が好きなわけではないですけれど、
日本というこの土地で育まれ息づいてきた文化や身体感覚はとても好きです。
脈々と続いてきた古の記憶だけでも、身体に感覚として持っておきたいなと思っています。