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中心をみること

 

もちろん私たち指導側が、「陰ヨガとは何ぞや」という本質を見失っていはいけないのだけれど、
是非練習をしている受け手の皆さんにもそこを見失わずに練習を続けてもらえたら嬉しい。

 

自分の思い描く「陰ヨガっぽさ」に執着するのではなくて、
(先日書いた『音楽が聴こえなくなってしまいますよ』とも通じますが)
陰ヨガで何を実現させたいのか、陰ヨガで何を目指しているのか、というところを忘れずにいてほしいと思う。

 

例えば、私もクラスのインストラクションで相手によっては
「吸う息をもう少し意識して」
と言うときもあれば、
「吸う息は忘れるくらいで良い」
と言うときもあります。

その言葉だけを捉えていると
「全然違うこと言ってる!陰ヨガは吐く呼吸がメインだって言ってたのに!!」
となってしまいます。

 

人によって、必要な練習は少しずつ違います。
自分にとって必要なことは練習の中でわかってくることだけれども、その手助けに先生もいます。

 

大事なのは本質です。
面で見ているとなかなか全ての景色は見えてこない。
ボールのようにイメージすると、色々な面があります。
だからその中心をみることです。

 

私も昔から比べると、インストラクションが随分変わりました。
6.7年前は確かに固めている人が多くて「緩める」「リラックス」という言葉を使うことが多かったし、それでよかったのだと思う。

でも3.4年前くらいから、抜けてしまう人も増えてきたように思います。
正確に言うと、全部抜けるか全部固めるかのどちらか。
その頃から、「座ること」「丹田」「しっかり安定させること」というインストラクションが多くなったと思います。

 

詳しいことはここでは省きますが、こうして変わってきたことについては、ヨガを取り巻く環境が変わったことなど色々な要素が考えられると思います。

 

緩めることで安定できるのは、丹田を使う意識は持っている(使い方を知っている)けれど緊張が強いときかなと思っています。
そういう場合は効果的ですが、丹田の感覚がなければ全部抜けてしまいます。それで柔軟性が高ければ、柔軟性だけでポーズをとるようになってしまう。

 

もちろん、地域や、スタジオなどの場や、なによりそこに集まる人たちによっても変わるでしょう。
確実に東京と地方では体の感じが違うと思います。

ずっと同じ言葉を使っていては、なかなか難しいのです。

 

私たち指導側は、その本質を見失わずにクラスを構築しないといけない。
ずっと同じことをやっていては、時代や文化(言葉、行動)の変化に反することになります。
それに、クラスに来てくれている方のレベルが上がればそれでも変わります。
正しいインストラクションなんてないと私は思っています。

発する側と受け手側のコミュニケーションでもあるので、
信頼関係もそのベースになっていると思います。

 

指導側も、時代や、クラスに来てくれている方々と共に変化して成長しなくてはと思います。

時代の変化や、生徒さんたちの変化に敏感でいたいです。

 
 

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