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「自主練」について思うこと

 
ずっと思っていることがあります。
表立って言うことはあまりしないのですが、これだけは書いておきたい。

 
練習が1番大事。
しかもその質が大事。

 
たとえば自主練。
自主練していれば練習に行かなくてもよいのか。

わたしは自主練はすごく練習積んできた人が「できる」ものだと思っています。

まず、「自主練」できるようになるために先生について練習する(身体の感覚を養う)必要があると思う。

 
いえ、誤解があってはいけませんが、
自主練をするべきではない、しなくていい、ということではないのです。

でも最初の頃のそれは、先生のもとでの練習の体感を思い出し、
もっと身体に染み込ませて、感覚を探っていくための復習の時間だと思うのです。

自主練は、やる人の経験によって意味が変わるものだと思うのです。

 
今は陰ヨガの練習は一人でもできるようになりましたが、
陰ヨガ初めて最初の頃は、自主練ができませんでした。
してましたが、できませんでした。

、、、最初の頃というか、、、
そろそろ自主練できるかも、と思ったのは3年後ぐらいの話です。(この年数はあくまでわたしの経験。陰ヨガはポーズ数が少ないのもあるかもしれない)

それは身体にそれぞれのポーズの感覚が染み込んだから。
それでも新たな感覚にどんどん出会うけど、
ベースとなる1番大事な感覚はちゃんと身体が覚えているから。
身体でポーズを理解した、と身体がわかったから。
(自主練のベースができるという意味なので、学ぶ必要がなくなるということではない)

だから先生になってすぐ「クラスに行ってないけど自主練をしている」と言う人がいますが、それはとてもとてもとても疑問なのです。

生徒さんはいいんです、色々な環境の方がいるでしょう。
(ただもちろん環境と条件が許せば先生のもとで一定期間学ぶことが良いと思いますが、それでも生徒さんなので自分の都合で良いと思います。)

でもそれが「指導する」となると、
全然意味が違う。

「指導すること」の重要性について、ずっと教わってきたし、
それをずっと大事にしてきました。

だから、練習を大事にしています。
自分は陰ヨガの練習をしてきた、という自負があります。

 
なぜわたしがこんなことを言うかというと、
わたし自身練習量に比べて先生になったのが早くて後悔したからです。指導するということに対して甘かったと思いました。

「先生」としてのはじめては誰にでもあることだけど、
どれだけちゃんと経験しているかは差がでてしまう。
「先生」としてははじめてでも、経験が積まれていればあとは「指導する」という経験を積んでいけばいい。
でもその土台となる経験がないということは、素人が教えるということだ。それは、、とても失礼なことではないか。。

「先生」という責任ある立場と実際の経験の差を埋めるためにかなり苦労しました。
数だけこなしてもだめだということも、身をもって理解しました。
頭打ちして、色々試しました。
もっと大事な根本的なことを気づいたりもしました。
練習はoff the matなので、マットを降りても続きました。

練習は、させるものではなくて、その人自身が自分の意思でするものです。

わたしの場合、尊敬する先生の姿が正してくれた部分もあります。
十数年の毎日の練習から出てくる言葉の重みに触れて、
改めて「練習」の大切さ(それは流派は関係ない)を痛感しましたし、
恥ずかしいとも思いました。

こういう素晴らしい先生がいるのだから、
こんなに生徒に真剣に全力で向き合ってくださる先生がいるのだから、
わたしは責任をもっともっと持たなくてはいけない。
そう思いました。

本当に練習を大切にしていて、自らが生徒にその姿を見せて指針になってくれるような先生との出会いもすごく重要なことだと思います。

 
先生になりたてで勉強を一生懸命する人がいるけど、
実践してなんぼだと思う。

勉強ももちろん大事だけど、練習して経験することの方がずっと大事。
勉強したとしても、練習という経験をしないと意味がない。
勉強しても、練習の経験がないと意味がない。

蓄積がないから人が話したことをそのままやり続けて枯渇してしまう。
だからもっと新しい知識を入れようと勉強する。
結局自分がすごくしんどくなってしまう。
せっかく「ヨガを伝えたい」という情熱があったのに。

だからまず、その前に、絶対練習だよ。
最初に必要なのは知識じゃない。勉強じゃない。
リアルな練習が自分を支えてくれる。それが土台になるから。
うまくいかない日もあるかもしれない。
気づきを得られない気がする日の練習でも、その経験は必ず身体にしっかり蓄積していくから。

 
例えばそれはアジャストもそうです。
最近アジャストのやり方について聞かれることがあるけど、それも全部練習なんです。
アジャストの練習じゃないですよ、もちろん自分の練習です。
そして、それができたらされるということ(先生にアジャストしてもらう)の練習も必要だと思います。

アジャストをいくら練習しても、まず自分の身体でポーズを理解していなければアジャストはできるようにならない。
経験していないから。
アジャストの練習するのは、十分自分の練習を積み、
そして先生からアジャストしてもらった経験の後です。
(それは流派関係なく、とにかく身体でアジャストの意味を理解すること。先生の意図を身体で理解すること。
同じやり方にはならないけど、「身体の使い方」という意味ではどのヨガも一緒だから)

先生から与えて頂いた感覚を頼りにやるしかないんです。

頭じゃなくて、身体使おうよ。
練習しようよ。

良い練習しよう!

 
もちろん1人の練習も大事です。
でもそれは、最初のうちは先生のもとでの練習を復習して、
次の練習のときに確認するためのものだと思う。

身体の感覚が育ってないのに、
一人で練習しても意味のある練習にはなかなかならない。(時間はかかるけど、かければ意味のある練習にはなると思う)
その状態で人を指導できないし、自分が一番つらくなる。
(何度も言うけど生徒さんはいいんです)

無駄な時間のように思うかもしれないし、
焦ることもあるかもしれない。
今すぐ使える技術や知識が欲しいと思うかもしれない。
それはヨガの先生というものがある部分では手軽になってしまっていることも原因のひとつだと思うから仕方ない部分もあるかもしれないとも思う。
でも人に伝えるということは、普通に考えても手軽なことではない。
すぐ使える技術や知識よりも土台作りが一番大事で、
結果それが一番近道だと思う。

だから感覚でちゃんと理解するまで、練習しよう。
先生である前に、1人の練習者でいよう。
ヨガが大好きな練習者でいよう。

ヨガを伝えるという時に大事なのは、先生という肩書きでも資格でもない。
練習という経験で培ってきた、自分のリアルな感覚だと思う。

 
 

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